金婚記念日を迎えて(酒井均):2006年3月27日

50年前の1956年3月27日清水の実家で父の友人桜田夫妻の媒酌で簡単な結婚式をあげ、翌28日本郷の学士会館で友人の世話で披露宴をしてもらった。均は東大理学部化学科の大学院生、定子は奈良女子大理学部の動物学科を卒業し、文京区の文京学園に教師の職を得たばかりであった。指導教官の南英一先生ご夫妻にご媒酌をお願いした。

定子が一人娘であったことから父母はこの結婚には反対だった。この為結婚式は名ばかりで同席は兄の正と妹の幸子だけ、又披露宴には均の実家の関係者は招かなかった。父母が諦めたのは加奈子の誕生前後だった。その後、父も母も定子をよき嫁として接してくれた。

あれから50年、振り返ってみると実に沢山の思い出がある。それらのすべてを残すことは無理だし又意味もない。金婚式を子供たちが祝ってくれると聞いた時から思い立って彼らに両親の素顔を少しでも分かってもらえるような記録をCDに残すことにした。といっても記録の主体は今まで2人が書き貯めてホームページに載せた自分史(特に定子の)である。これらを読めば2人の「生い立ち」や「出会い」がよく分かると思う。それらに新しく結婚披露宴の写真は勿論のこと、それぞれの子供時代、家族、親戚、さらに3人の子供たちの誕生間もない頃の写真を収録した。

50年前の2人は今や子供夫婦3組、孫6人、計14人に膨張した(最下段写真は2004年7月の家族大集合)。 後数年もすればひ孫を授かっても不思議ではない。そんな楽しい夢を追って、家族に支えられながら、しかし出来るだけ迷惑をかけないようにしながら、これからも元気で生きていきたい。

風に乗って(酒井定子):2006年3月27日

鶴は風に乗ってヒマラヤを越え、

ウナギは波にさからってマリアナを目指す。

人も又クラシーズの洞窟を出てより

幾つもの苦難を越えて今を生きている。

人生生きているだけでまるもうけ。

二人で必死に過ごして50年!

今思えば邯鄲(かんたん)一炊の夢。

明日もまたかくてありなむ。

カーペ・ディエム(ラテン語でその日の花を摘めという意味)

それで良い(じゃん)!

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